大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)1187号 決定

抗告人

東京水野株式会社

右代表者

水野光三

右代理人

水野邦夫

小沢誠

相手方

谷浦俊徳

相手方

高木修三

主文

原決定を取り消す。

理由

一本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。抗告人の本件権利行使催告の申立てを許可する。」との裁判を求めるというにあり、その理由は別紙記載のとおりである。

二本件記録及び東京地方裁判所昭和五三年(ヨ)第四七四号不動産仮処分申請事件の記録によれば、抗告人は、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)及びその敷地である同(二)記載の土地(以下「本件土地」という。)の所有者であり、右建物を取り毀してそのあとにビル建築を計画していたところ、相手方らが本件建物を不法占拠し、本件土地を不法占有しているため、右建築計画に支障を来たし、多大の損害を被りつつあるとして、東京地方裁判所に相手方らを債務者として建物退去土地明渡等の仮処分を申請し(前記不動産仮処分申請事件)、相手方らは本件建物の一部につき抗告人に対抗しうる賃借権を有する旨抗争したが、同裁判所は同年八月一八日抗告人に保証として金一〇〇〇万円を供託させ、同月一九日「一相手方らは本件建物を退去して本件土地を仮に明渡せ。二相手方らは本件建物を抗告人又は抗告人の委託を受けた者が取毀し作業をするのを自ら又は第三者に指示することにより妨害してはならない。」との仮処分決定をなしたこと、抗告人は東京地方裁判所執行官に右仮処分の執行の申立てをし、執行官において同月二一日その執行を終了したこと、抗告人は右執行終了後直ちに本件建物の取毀し工事にとりかかり、同月三〇日これを完了し、現在本件土地上にビルを建築すべく工事を進行中であること、前記仮処分申請事件は同年九月二〇日抗告人の申請取下により終了し、一方抗告人からの本案訴訟の提起は未だなされていないことがそれぞれ認められる。

ところで、民事訴訟法一一五条三項が、担保提供者に対し「訴訟の完結後」に担保権利者に対する権利行使の催告の申立てを認めているのは、訴訟が完結すれば、担保権利者において被るべき損害の範囲が客観的に確定し、その額の算定にも支障がなくなり、担保権利者に当該保証によつて担保さるべき損害賠償請求権を行使すべきことを要求しても無理ではない状態に達するからであると解される。右一一五条三項の規定は同法五一三条三項により仮処分のための保証の取消しについて準用されるのであるが、本件のように建物退去土地明渡を命ずる、いわゆる断行の仮処分の執行が終了し、右仮処分において予定されていたところに従い、目的建物が仮処分債権者の手で取り毀されて滅失するに至り、その後仮処分事件が申請の取下により完結する一方、本案訴訟は未だ提起されていない場合には、右仮処分事件の完結をもつて右一一五条三項にいう「訴訟の完結」があつたものと認めて妨げないというべきである。けだし、建物退去土地明渡の断行の仮処分の執行が終了し、しかもその後目的建物が取り毀され、滅失した場合にあつては、仮処分申請の取下ないし執行申立ての取下がなされても、執行官において執行の解放を行う余地はなく、民事訴訟法五五一条による執行処分の取消しもできないものと解され(このことは被保全権利の不存在が本案判決によつて確定された後においても同様である。)、本件においても相手方らは、抗告人の仮処分申請の取下にもかかわらず、本件建物の占有を回復しえないまま今日に至つているわけであるけれども、右のように目的物たる本件建物が取り毀され、滅失した以上、相手方らが主張する賃借権は、仮にそれが存在したとしても、右滅矢の時点において消滅するに至るものといわざるをえず、右の場合、本件仮処分の執行により、本件建物を占有できないこととなつたために相手方らの被るべき損害の範囲及びその額は、本案訴訟の提起及びその完結をまつまでもなく、右滅失の時点以後の分も含めて、判定しうるものとみるべきであり(右賃借権の消滅は、本件建物の取毀し、滅失によつてもたらされたものであるが、右取毀し、滅失なる事態は本件仮処分の主文第二項から明らかなように、本件仮処分自体において抗告人の被保全権利行使の結果生ずることが予定されていたところであり、右消滅をもつて右執行と相当因果関係のある損害とみてよい。)、果たしてしかりとすれば、現段階において相手方らに損害賠償請求権の行使を要求しても決して無理ではないと解されるからである。なお、相手方らが本件保証によつて被担保債権の満足を得るには、いずれ本件仮処分の執行により被つた損害の賠償を求める訴訟を提起しなければならないのであり、本件においては、前記のとおり既に相手方らにおいて右損害の範囲及び額を判定しうる段階に達しているとみられることのほか、断行の仮処分を発するにあたつては債権者側に相当高度の疎明が要求されることなどを考えれば、抗告人が未だ本案訴訟を提起せず、被保全権利の存否が訴訟上確定されていないからといつて、本件権利行使催告の申立てを認め、相手方らに損害賠償請求権の行使を催告する処置に出ても、公平の観念に反するとまではいえない。

三以上の次第であつて、抗告人の本件権利行使催告の申立てはこれを認容すべく、右申立て及び右催告を前提とする担保取消の申立てを却下した原決定は不当であるから、これを取り消すこととし、主文のとおり決定する。

(小林信次 滝田薫 河本誠之)

抗告の理由

一、原決定に至るまでの経緯

抗告人(債権者)は、相手方を債務者として、東京地方裁判所昭和五三年(ヨ)第四七六四号建物明渡断行仮処分申請事件につき、昭和五三年八月一八日、保証として金一、〇〇〇万円を供託し、同月一九日、次の如き内容の仮処分決定を得た。

「一、債務者らは、別紙物件目録(一)記載の建物を退去して、別紙物件目録(二)記載の土地を仮に明渡せ。

二、債務者らは、別紙物件目録(一)記載の建物を、債権者または債権者の委託を受けた者がとりこわし作業をするのを自らまたは第三者に指示することにより妨害してはならない。」

抗告人は同日、東京地方裁判所執行官に右仮処分執行の申立をなし、執行官は同月二一日、右仮処分の執行を終了して、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という)は抗告人の占有するところとなつた。

右仮処分執行完了後、直ちに抗告人は本件建物の取壊し工事にかかり、同月三〇日、右工事は完了した。従つて、現在では本件建物は完全に収去されており、新たなマンシヨンの建築工事が開始されているものである。

抗告人は、本案訴訟については未提起であるが、既に昭和五三年九月二〇日、右仮処分申請事件を取り下げている。そこで抗告人は、右取下が、民事訴訟法一一五条三項に規定する「訴訟の完結」に該当するものとして、東京地方裁判所に権利行使催告に基づく担保取消の申立をしたところ、同裁判所は右各申立を却下する旨の決定をなしたものである。

二、原決定は、左記の理由により不当である。

(一) 民訴法五一三条三項により準用される民訴法一一五条三項にいう「訴訟の完結」とは、一般に「担保権の客体である被担保債権の額がそれ以上増加する事由がなくなり、かつ、その額の算定に障害がなくなつて以後」と解されている(斎藤秀夫編著注解民事訴訟法(2)一三五頁参照)。仮処分のための担保について、これがいかに解されているかということについてみるに、本案訴訟が既に係属しているときには、本案訴訟の終了後と解されているが、本案訴訟が提起されていないときには、仮処分事件の完結をもつて「訴訟の完結」があつたものとみるのが、通説、判例であり、実務の取扱いでもある(前掲書一三六頁参照)。その理由としては、この場合は損害賠償請求権の存否及び額を確定的に主張できる段階にきているし、仮に権利行使催告に応じて債務者から損害賠償請求訴訟が提起されたとしても本案訴訟が未提起であれば、両者の判断が区々になり、矛盾が生じるおそれがないことなどが挙げられている。

このことは、明渡断行仮処分事件についても同様に言えるはずである。但し、明渡断行仮処分事件の場合、執行の申立が取下げられても執行官はこれにもとづく執行の解放を行なわない取扱いが執行実務とされているという特殊性があるが、本件の如く、既に明渡後に目的物が滅失しているような場合には、目的物の占有の継続により損害が不断に発生するということはあり得ず、仮に損害賠償が認められるとしても、損害額は既に客観的に確定しているものというべきである。

したがつて、本件の場合、本案未提起の段階で権利行使催告を認めたとしても、相手方に対しては何ら無理を強いるものではなく、不当な結果を招来することはあり得ないのである。

(二) 本件の場合、仮処分取下をしたうえでの権利行使催告による担保取消申立を認めず、抗告人に本案訴訟を提起させたとしても右本案訴訟における抗告人の請求は棄却されるおそれがある。

すなわち、本件においては、本案請求の目的物たる建物は既に取りこわされ滅失しているのであるが、このような仮処分執行後の目的物の滅失という事態をいかに評価するかということについては学説も区々に別れており、このような事態は本案訴訟において無視すべきではなく、建物が現存しない以上、請求を棄却すべきであるとの学説も有力である(吉川大二郎、増補・仮処分の諸問題・三三一頁以下等)。

右の学説によれば、仮執行のように訴訟物たる請求権の先行的実現たる性質をもち、形成された履行状態の当否そのものが本案訴訟の目的となつている場合には、既に形成された履行状態やその後の目的物の滅失という事態を本案訴訟の中で考慮し、請求を棄却することはそれ自体、制度の目的と矛盾を生じることになるのに対し、満足的仮処分の執行によつて形成された保全状態は、本案の目的たる請求権の実現とは本来別個のものであるから、右保全状態形成後の目的物滅失という事態については、判決前に仮処分が介在することなく目的物が滅失した場合とその扱いを異にする必要はないというのである。

また、判例としては、最高裁判所昭和三五年二月四日判決(最高裁判例集第一四巻第一号五六頁)が存するが、右の判決についても仮処分の執行によつて作られた仮の履行状態そのものが本案訴訟において考慮されるべきか否かという点について判断したものであり、目的物の滅失という履行状態形成中に生じた新たな事態についていかに解するかということまで判断したものではないという理解も可能なのであり(三渕・最高裁判所判例解説民事篇昭和三五年度一三頁、吉川・民商法雑誌四二巻六号一〇〇頁)、現にそのような理解に立つたうえで、本件と同種事案について仮処分債権者の本案請求を棄却した判例も存するのである(広島高裁昭和五一年四月二一日判決・判例時報八三三号八〇頁)。

仮に本案訴訟の裁判所が右のような説に立つて本案請求を棄却した場合、結局、抗告人は本案敗訴の訴訟完結があつたものとして権利行使催告をしなくてはならないのであり、しかも本案においては仮処分決定の時点あるいは仮処分執行の時点における被保全権利の存否については判断が下されないため、相手方の損害賠償請求の前提たる被保全権利の存否の問題は、相手方の提起する損害賠償請求訴訟の中において判断するよりほかなくなつてしまうのである。右のような事態を想定すれば、結局、いずれにしても、被保全権利の存否は本案訴訟ではなく、相手方から提起する損害賠償請求訴訟で判断せざるを得ないのであるから、抗告人をして本案訴訟をあえて提起させる意味はほとんどないと言えるのではなかろうか。

右のような事態を防止するため、抗告人の側から本案訴訟として明渡請求訴訟の代わりに損害賠償請求権不存在確認訴訟を提起することも考えられる。しかし、消極的確認訴訟においては、請求権の有無に関する主張立証責任は被告側にあることからみれば、結局、実質的には相手方に損害賠償請求訴訟を提起させることとほとんど変りないといつてよい。

以上述べたように、前述の有力説に立つ限り、抗告人に本案訴訟を提起させたとしても実質的にみてあまり意味のない結果しか得られず、かえつてそのような無意味な手続を強いることは公平に反することになろう。他方、被保全権利の存否の確定はいずれにせよ相手方の提起する損害賠償請求訴訟かあるいは損害賠償請求権不存在確認訴訟によらざるを得ないのであるから、相手方に損害賠償請求訴訟を求めることは何ら公平に反するとは言えないのである。

三、以上述べた理由により、原決定は明らかに不当であるから、速やかにこれを取消し、抗告人の権利行使催告の申立を許可することを求める。

物件目録

(一) 東京都港区赤坂

九丁目二五〇番地所在

家屋番号二五〇番二

店舗木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建

床面積

一階 101.48平方メートル

二階 103.78平方メートル

(二) 東京都港区赤坂二五〇番

宅地 191.73平方メートル

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